本来は、沖縄方言で「ユッカヌヒー」と呼ばれる旧暦の5月4日に執り行なわれるのですが、競技性もあるためか5月から11月にかけて、県内各地でレースが展開されています。県知事杯のかかった「万座ハーリー」やハーリー甲子園で知られる「名護ハーリー」などが有名です。
沖縄全土に普及するハーリー(11〜12人乗り)では、海人たち(沖縄の漁師さん)が漁労船として使用する「サバニ」をレース用に仕立てたものを使用します。先人達が培ってきた経験と知識に基づいて製造されたもので、俊敏性と機敏性に優れた構造をしています。
・ハーリー:総勢11人〜12人 漕ぎ手10人、舵取り1人、(鐘打ち1人) ・ドラゴンボート:総勢22人 漕ぎ手20人、舵取り1人、太鼓1人 ・ペーロン:総勢30人 漕ぎ手26人以内、太鼓、ドラ、舵取り、采振り、あか汲み ・那覇ハーリー:総勢42人 漕ぎ手32名、鐘打ち2名、舵取り2名、旗持ち他6名
1.中国からの36姓が那覇の港で龍舟競漕をした。 2.長濱大夫(ナガハマダイユ)が中国で龍舟の作り方を習ってきた。 3.豊見城の城主であった汪応祖(オウオウソ)(南山王の弟)が、中国に留学した時に見た龍舟を作らせ、豊見城下の漫湖で競漕した。
その後は、琉球国王の観覧もある国の一大イベントとなり、全島各地に広まったと言われています。又、中国からの冊封使を招いた際にも、首里城にある龍タン池で龍舟を競漕させたという記録も残っています。那覇ハーリーは廃藩置県の時に禁止されましたが、沖縄万博(海洋博)の開催に伴い1975年に復活しました。
本場中国の龍舟競漕(ドラゴンボートレース)は紀元前から行われていたと言われています。その由来は春秋戦国時代、楚の国にいた政治家、屈原(くつげん)が秦に支配された国の命運を嘆き、川に身を投じ、それを知った民が彼の身を案じて、探し回ったと言うのが由来だと言われています。太鼓やドラを使うのも屈原が龍や魚に襲われないように民が太鼓やドラを鳴らして探したことが始まりとされています。